WASEDA STREET JOURNAL - Vol.4
ヤーマンです。ポレポレタクシーの石井でございます。
先日当コラムの読者の方からメールを頂戴いたしました。「(前略)現在進行形のdubにも是非メスを入れていただきたい。(中略)今までのそういったレゲエダブがどんな形で今に生存してるかどうか、けっこう俺はいつもそれを考えているので、それが知りたいです。」というアツいお便り、最高に嬉しいです。
現在連載中のレゲエ概論シリーズ全5回は、むしろ歴史的な事実を概観することでレゲエに対する入り口になればという思いで書いておりますので、自分自身のレゲエ解釈や、あるいは個別のアーティストやプロダクション、UKレゲエやモダンダブ、日本のダブなどについては、このシリーズが終わった後順次書いていこうと思っております。
ですので、しばしファウンデーションにお付き合い頂ければこれ幸いでございます。
そんなファウンデーションシリーズも第4回目となりました。いよいよ大詰めの今回はジャマイカ音楽を巡るカルチャーの一つであります、「ラスタファリアニズム(日本ではラスタファリズムとも)」がテーマです。
とはいえ、宗教学者でも民俗学者でもない私が語れる事は限られている訳ではありますが、この文章を通して、ジャマイカの特に黒人のための新興宗教である「ラスタ」から果たして我々現代の日本人が何を読み取れるのか、そして何を読み取るべきなのか、その端緒を私自身も得られれば。と、このように思っております。
ジャーよろしくラスタファーライどうぞ〜。
【ラスタファリアニズム(ラスタファリズム)の思想】
先ず始めに断っておく必要があるだろう。当然の事ではあるが、オレ自身はラスタではない。ドレッドでもなければ、豚でも牛でも喰うし、政治家としてのハイレセラシエが時には決して褒められた行いを為さなかったことも、何となくは知っている。
ラスタはレゲエ、特にルーツレゲエを聴く時には必ずついてまわる事柄だが、音楽としてレゲエを楽しむだけであれば、別に必要のない知識でもある。ただ自分の体験に照らせば、レゲエを聴き始めて直ぐに、あるいはその前段階から「このジャケットに写ってるオジさん誰だろう?」とか「ジャー、ジャーゆうけど何なのよ?」って疑問に思った覚えがある。
そこから少しずつ調べてみると、レゲエという音楽が反体制のレベルミュージックであるという一つの象徴がラスタにあるように思われて来たのだ。果たしてラスタとは一体なんなのか?
最も有名なジャマイカ人(=ボブ・マーリー)が敬虔なラスタファリアンであったことから、ジャマイカ人=ラスタと誤解される向きもあるようだが、今もって国民の60%超はキリスト教徒(プロテスタントおよびローマカトリック)である。また、ラスタはジャマイカ土着のカルト宗教と呼ばれる事も多いが、ラスタ自体には成文化された教義というものはなく、ラスタ思想、ラスタ運動と呼ばれるように思想運動であって、ライフスタイルや生活信条、ポリシーといった側面が強い様に思われる。
17世紀後半から黒人奴隷に許された唯一の書物=聖書をベースとして、リヴァイバルと呼ばれるアフリカ的宗教運動を経て、キリスト教とアフリカ宗教の折衷という独自の発展を遂げてきたのがジャマイカのキリスト教であり、人類の起源がエチオピアの黒人にあるという聖書の記述への解釈から、彼ら自身のキリスト教を白人種のそれと明確に分け隔てる意味で、エチオピアン・バプティスト派やエチオピアン・メソジスト派、等々と名付け、宗派の違いこそあれ、これらのエチオピア教会はコミュニティの中で重要な役割を担うようになる。そしてラスタもその中から産まれたものだ。
1910年代にアメリカに渡ったジャマイカ人で、パン・アフリカニズムの過激なアジテーターであり活動家のマーカス・ガーヴェイ(Marcus Mosiah Garvey)は世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)を組織、既に人心に根付きつつあったエチオピア教会の存在と、当時アフリカで植民地化されていなかった唯一の国エチオピアを黒人の魂の故郷とするエチオピアニズムを強力に推進し、故郷(アフリカ)を追われた(ディアスポラ)黒人達にアフリカへの帰還を訴えた。彼の活動の特筆すべき点は、その運動を観念の領域に押し込める事を良しとせず、実際に「ブラックスターライナー」という船舶会社を起こし、アフリカ帰還運動を現実のものにしようとしたところだ。そうした活動の中で結果的に彼はアメリカを追われ、キングストンに戻ってそこで後のラスタにとって最も重要な演説をすることになる。
1927年、彼が「アフリカを見よ。ひとたび黒人が王位に就けば、購いの日は近い。」と叫んだ数年後、1930年にラス・タファリ・マコーネン(Ras Tafari Makonnen/「ラス」は高貴な人、「タファリ」は創造主という意味の尊称)が、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ・1世(Haile Selassie I)として王位に就いた事によって、ガーヴェイは預言者となり、ハイレ・セラシエは現人神となった。
ここにラスタファリアニズムの萌芽が産まれたのだ。
※ラス・タファリ・マコーネンとマーカス・ガーヴェイ
ガーヴェイの預言が実際のものとなった1930年以降、狂信的とも言えるガーヴィズムの信奉者であった最初のラスタ、レナード・ハウエル(Leonard Percival Howell)をはじめとした数人の宣教師によって、「ハイレセラシエは生き神であり、救世主である」とするラスタファリ運動が展開されてゆく事になる。
彼らはその神をジャー・ラス・タファリと呼ぶ。ジャー(Jah)とはヘブライ語のヤハウェ(Yahweh)が訛った言葉とされ「神」を意味し、ラス・タファリはハイレ・セラシエの即位前(神となる前)の名前であり、自分自身を神に近づけるために語られる、こう言って良ければある種の題目である。 ラスタでは自己の存在が重んじられるため、weやyouという言葉が使われず、「I and I」という独特な言い回しが使われ、また接尾辞にローマ字の「I」を好んで用いる。ジャー・ラスタ・ファーライ(Jah Rasta Far I)や、ハイレ・セラシアイ(Haile Selassie I)と呼ぶ時、彼らは自分自身と神とを合一させるのだ。レゲエのレコードを買っていると頻繁に出くわす、Jah何某、とかRas何某といったアーティストネームもこの視点に依拠する。
ハウエルの運動は急進的であり、ブラックナショナリズムに満ちた彼らの教えは、時のジャマイカ政府にとっては弾圧の対象となった。彼らは都市部を追われ、丘陵地ピナクルに自給自足のコミューンを形成しラスタ思想を確立していく。
このコミューンにおいて奏でられたアフリカンドラムを主体とした音楽がナイヤビンギ(Nyahbinghi)だ。フンデ(中音部)とベース(低音部)ドラムが一定のパターンを繰り返し、その上でリピーターと呼ばれる高音部のドラムがメロディーを奏でる様に演奏され、宗教的なチャントの詠唱が乗るそのスタイルは、奴隷制の時代から彼らにとってのアフリカの記憶として長く受け継がれてきたドラムを主体とした音楽「クミナ」や「ブールー」から発展したものだ。
ラスタファリアンがドレッドロックスと呼ばれる縮毛を長く伸ばした髪型を取り入れ始めたのは1950年代に入ってからのようだ。その起源は「体に刃物をあててはならない」という戒律によるとも、ケニアの反植民地主義の武装集団「マウ・マウ団」の戦士の髪型によるとも言われるが、どちらにしろドレッドロックスは彼らを抑圧するバビロン側の人間たちを威嚇し、震え上がらせる反体制の象徴となった。
しかし、ドレッドである事がラスタの条件であるように誤解されがちだが、例えばハイレ・セラシエ没後に精神を病み、遂に復帰することの無かった敬虔なラスタ、ジュニア・バイルス(Junior Byles)はドレッドではなかったし、ラスタ運動がピークを迎える1960年代後半以降は、大した信仰心もなくファッションとしてそれを取り入れた似非ラスタとでも形容したいルードボーイ連中が現れるなど、必ずしもラスタ=ドレッドとは限らない。
また、彼らが好むものの中にマリファナがある。驚くべき事ではあるが、ラスタはガンジャが聖なる草として聖書の中で使用を勧められていると考える。当初は合法的であったマリファナは、1938年の農園労働者の暴動を契機に禁止薬物に加えられた。その事により、体制側にラスタコミューンの弾圧を強化させる端緒を開いてしまう事になる。
1954年に行われた大規模な強制捜査により、ピナクルのコミューンは崩壊。その結果、離散したラスタ達はワレイカ・ヒルをはじめとしたキングストンの周辺部のゲットーに集まる事となる。この事が、先に述べたナイヤビンギの音楽が、レゲエにコミットする下地を作った。
スカの代表的なプロデューサーの一人、プリンス・バスター(Prince Buster)が、生粋のラスタマンでありビンギドラムのマスターであるカウント・オジー(Count Ossie)を訪ねたのがこのワレイカ・ヒルであり、カウント・オジー・グループの演奏を録音し、大ヒットとなった「Oh Carolina」がリリースされたのが1959年。
その後も、このナイヤビンギドラムが、ジャマイカンミュージックに大きな変化と影響をあたえていく事となる。
1966年、ハイレ・セラシエがジャマイカを公式訪問。飛行機のタラップに立ったジャーを、10万人のラスタが迎えた。この訪問は、ジャマイカ政府が仕掛けたラスタへの宥和策であったが、その意図に反し、爆発したラスタ達の熱狂は、更なるラスタファリアンの裾野を拡大し、この思想運動のひとつのピークをもたらす。
1970年代にかけてレゲエに移行するジャマイカンミュージックは、ラスタの思想をそのサウンドやリリックに取り入れる事で、ルーツレゲエというスタイルを確立する。
ここまで見て来たように、ラスタ思想のその最も根幹にあるもの。それは自分が黒人であるという事実だろう。
彼ら黒人は、すべからくアフリカという故郷を追われた悲しみ(ブルーズ)を背負っている。ナイヤビンギ、ボボシャンティと並ぶラスタの最大分派であるイスラエル12氏族や、ルーツレゲエ期のコーラストリオ“イスラエル・ヴァイブレーション”の例に見られるように、ラスタ達は、同じく故郷を追われた古代イスラエルの民に自らをなぞらえてみせたりもする。
この一点をとってみても、果たしてこの思想が我々日本人にどれだけのリアリティーがあろうか?この疑問が、レゲエに魅せられ、より深く入り込もうとする者の中に、ある種の戸惑いと逡巡をもたらす。
しかしながら、こうは考えられないだろうか?
人間が生きて行く事、その中にある苦しみや悲しみ、そして喜びは、人種や国家や時代を超えたものではないか。もちろん彼らの苦しみとオレの苦しみが同じだと言う気は毛頭ないが、自分がこの時代に、この国で生き抜いて行く、その事について廻る苦しみと喜びは、常に普遍化できない絶対的な感覚として自分自身の内にある。
例えば、抑圧された社会環境の中で、ラスタ思想に自らの苦しみを解放し、サウンドシステムでのダンスに日々の生活の喜びを感じるジャマイカの人々の姿に、我々は何かを学ぶ事が出来るのではないか。そう考えた時、「バビロンと闘うラスタ」というイメージが我々の内側に活き活きと立ち現れる。
自分自身をバビロン(社会や自分を抑圧する全てのもの)の内側で闘うバッファローソルジャーだとイメージしてみること。そしてレゲエを聴く事。この事がオレに勇気を与えてくれること、それもまたオレ自身のリアリティーである。
※バッファローソルジャーとは、アメリカ陸軍に置かれた黒人部隊で、南北戦争をはじめ様々な戦争で活躍した。白人国家の中で差別と戦いながら誇り高く仕事を全うした黒人という意味で、ボブ・マーリーの楽曲の中でも、ラスタと重ねる様に歌われている。
最後に、イギリスの白人という立場から20年以上自分自身のレゲエをクリエイトし続ける男、Disciples(=Russ D)の言葉を引用して筆を置きたい。
「黒人以外は、rastafariと言ってはいけないと言ってるんじゃないんだ。なぜ彼らがそう言っているのか、その事をまず考えて欲しいんだ。ラスタはジョークじゃないんだ。」(Russ D a.k.a. Disciples)
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
【今月の一曲】
90年代のUKニュールーツシーン随一のアンセム、Disciplesの「prowling lion」です。キラー過ぎて一時期ポレポレタクシーでは毎回かけていました。「あいつまたディサイプルズのあれかけてるよ!」と言われた事もありますが、しょうがないじゃん、カッコいいんだから。ジャーシャカに命名されたというDisciples(=Russ D)は20年経った今でも変わらず精力的に活動しており、その存在自体が既にクソシブいです。リスペクト!!!
Disciples - prowling lion
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
【参考資料】
●「ルーツ・ロック・レゲエ」鈴木孝弥/監修(シンコーミュージック)
●「ベース・カルチャー」ロイド・ブラッドリー/著、高橋瑞穂/訳(シンコーミュージック)